昭和44年12月07日 特別奉修委員
心で信心せよと。元気な心で、信心せよと。雨が降るとか、風が吹くとか、本当に今日は寒いというような時でも、やはり、さあ、おかげ頂くぞという、その、さあ、といったような心でなからなければ、なかなか、寒ければ布団の中へまた入ろうごたるし。ね、しるしいと思うただけでも、なかなか足が鈍くなります。これも、やはり元気な心ですね。けれども、これはどこまでも、まあ一般で言う元気な心ですよね、元気な。
信心で言う元気な心っというのは、どういうような事かと。私は今日改めて分からせて頂いた気がするんですけれど。義を見て、せざるは勇なきなり、といったような言葉がありますよね。義を見てせざるは勇なきなり。どんなに例えば元気があるようにしておっても、それは義を見てせざるは勇なきなりであって、それはもう空元気だという訳です、ね。義を見て、それを行わないとするならば。
信心させて頂く者が、どんなに、例えばなら元気な心でまあ、一般的で言う元気な心。さあ、雨が降ろうが、風が吹こうが、元気を出してお参りをして来ると言うてもですよ、ね、私はあの、本当の時に元気が出なかったらね、それはもう勇なきなりであります。ね、それがどういう事かと言うとね、こうする事が本当だ、こうする事が信心だと思うておる、分かっておりながら、それをそうしない事は、もう勇なきなりである。ね、そういう時に、こうする事が本当だと、例えばさせて頂くその心が元気な心だと。
私、これは信心で言う元気な心と、普通で言う元気な心って言うのは、やはり大変な違いがある事が分かりますね。私共は、さあ元気〔 〕、さあお参りしようといったような時に、いう意味で元気な心で信心せよ、と仰っておられるかという風に。これだったら、信心のない者にも、通用する事ですわね。けれども、やはりどこまでも、信心で頂く元気な心とはね。
こうする事が、本当だと思う事を敢然として、そこにやって退けれる心が、元気な心。ある人が、妊娠のおかげを頂いた。それで病院行ったところが、どうも医学の方から言うと、まあ言うならこういう状態の時に飲むと、まあ不具者ですかね、不完全な、完全な子供が生まれないという風に言われたらしいの。それでも、神様が与えて下さった物を頂きたいという心も非常に強い訳なんですよね。
そういう矢先にです、親戚の方がそげな事むちゃくちゃな事をして産んでから。もし片端どんが生まれたら家らの娘も、その嫁入りの差し支えになるち言うてから、喧しゅう言われたっち。もうそれでグラリしてしもうてからですね。本当にあのグラリしてからそのまあ実際、自分の心の中には産ませて頂きたい、与えて頂いとるのじゃからと言うてその、まあここはちょっとそこんところがまあ余談ですけれどね。
これは、ならそれを言うておる人も信心がある人なんです。それが、これも私が今日、余談ですけれども。お互いがね、ここへんのところを一つ、もう一つ達観しなければいけないと思うですね。例えばそれ、例えで言いよる今日の話と別ですけれど、もしその、そこになら、不具の子供が生まれて、自分方の娘の縁談に差し支える事があるとしてもです、差し支える事がおかげと悟る事が信心ですよ。
私信心ってのはね、そこなんですよ本当は。もう差し支えておったおかげで、かえっておかげを頂くという事なの。例えば私がいつも言うように、私は子供の時に火傷をして、不器量になったと。器量の悪い家に傷、顔に傷があってと。と例えば言うなら縁談にずいぶん差し支える事になりましょう、縁談という事になればね。けれどもだったおかげで、私は、なら現在の家内をもらう事が出けておるとするならですね、〔 〕そうでしょうが。差し支えるなら、差し支える事がおかげだと悟る事が信心です。
これはちょっと私その事から、ね、考える事があったから今聞いてもらったんですけど。そこにきを一つ頂くと非常に信心がいよいよ有り難いものになって来るんです。今朝の御理解からね、いうあの引っかからんで済むという信心ですかね。やはりそこんとこには、信心の本当の、本気でのけいこが出来なきゃならんと思うですね。これは大きな悟りです。〔 〕元気な心なんですけれども、それでさあ神様におすがりして、どうでも親先生は産めと仰る。
片一方にはそういう、まあ実際なら医者の言う声を聞くと心が、いくらか不安であるというところへですね、神様一心にして、おすがりして休ませて頂いたところがです、山登りをしておる一生懸命、お夢の中に。そしたらね、親先生がこんなに大きな番傘をね、これは、00さんこれをさして行けと言うて下さったっち。もうそれはもうそれこそ修行じゃあろうばってん、大安心ばいて私が申しました事でした。ね。
ですから、こうする事が本当だと、だから誰が何と言うて、なら何処にその、下ろされたより、付かれたように言われてあってもですね、それを敢然と、こうする事が本当だを取る事が元気な心だという事になるのですよ。まあ人にコリを積ましちゃならんけんで、あんたがそういう風なね。まあ、言うなら、自分の影に隠れてですね。その信心の方を取りきらない。これは、いよいよ信心がだらしが無い。
言うなら、力を受けさせて頂く時に、力が受けられないようなもんですからね。これを一つ、ここんところを。今日私はここんところを頂いて、はあ、元気な心で信心せよという事は、ここんところだなと。こう、こうする事が本当だとハッキリ分かっておる事なの。分かったものがあるの。それをその、行わないのは、義を見てせざるは勇なきなりであります。ここは義を感じたならばです。
それを敢然とやる、やって退けるのが勇気であります。信心させて頂く者は、こうする事が真だ、こうする事が本当だと分からせて頂いたらね、人の手前とか笑われたってそしらたって、ね。そんな事はいっちょん問題じゃないと。例えば問題であってもです、そこを敢然として、修行して行くという事が、元気な心なんですね。今日は本当に本当の意味においての元気な心を頂いたような気がするんですね。
どうぞ。